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畝傍




近鉄橿原線「畝傍御陵前」駅を降りてすぐの場所にある
奈良県橿原市の大久保町を見学してきました。

大久保町は元々奈良県高市郡白橿村大字洞(ほうら)という
畝傍山の東北麓に位置した村でしたが、神武陵の神域拡張、橿原
神宮の拡張などにより、洞部落全体の移転が要請されました。

1917年5月、宮内庁から奈良県に対し、洞村を移転させるよう
正式に申し入れがあり、奈良県は5つの理由をあげて、洞部落
の移転を通告しました。

1、宮内庁より洞部落を御料地にしたいとの希望があった。

2、当時洞部落の南西に畝傍御料林があり、日当たりが悪く
  生業である下駄表の乾燥が困難である。

3、部落の衛生上改善の必要がある。

4、土地家屋の問題

5、神武御陵の眼下に被差別部落があるのは大変おそれおおい

その後、洞水平社などの反対もありましたが、9月13日、部落代表12名が
宮内庁に献納する嘆願書に連署し洞部落の移転が決まりました。

しかし、候補地となった一般地区(山本・久米など)が相次いで受け入れを
断り、移転問題は一時暗礁に乗り上げますが、なんとか1918年9月に
大字四条・大字大久保の6000坪を移転地として提供することになりました。

洞部落は、移転が完了した1920年代から積極的にまちづくりが
行なわれ、移転から数年経った洞部落を訪れた中央融和事業協会の
葛城文雄は、町の変わりようを褒め称えました。

現在の大久保町は、綺麗な和風住宅が立ち並び、舗装された道には小さな
公園広場がいくつもある洒落た街となっています。みなさんも奈良に来る機会が
あれば立ち寄ってみてはいかがでしょうか。


引用・参考文献 部落史ゆかりの地 解放出版社

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