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和歌山県有田郡有田川町(旧吉備町)

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肌寒くなってきた11月に私は和歌山県有田郡有田川町(旧吉備町)の地区を訪れました。

この地区では「差別者のいない吉備町ではなく、差別される部落民の存在しない

吉備町」という一風変わった部落問題のスローガンを掲げました。これは同和対策

事業特別措置法が施行された時点で決定されていたものです。一般的に特別措置法

は部落の劣悪な生活環境を改善することを理念として進められて来ましたが、吉備町

では同じ特別措置法にもかかわらず、改善の中心に「人」を据えた、つまり「差別される

部落民」をも「差別の実態」としてとらえたということです。こういう明確な目標・理念が

実を結び、元となった吉備町の「ドーン計画」は見事成功します。ドーン計画(ドーンツーパーフェクト

ソルージョン 完全解決の夜明けを略してドーン計画と呼ぶ)は、行政機関で計画されたものではなく

住民一人ひとりの願いを集め住民の手で計画したものであり、町行政がその計画を容認採用して

推進してきたもので、計画の立案から内容検討まで、地区を細分して徹底した討議を繰り返し

そのなかで、みんなの夢を個人の事情とをすべて出し尽し、区総会・班集会・委員会などのべ100回

以上を数える討議を通じ、ドーン計画推進委員会(六人で構成されたので「六役」)を組織して

住民自治の上に、全住民の直接的な参加によって完成させたもの、つまりすべての町民の合意により計画・実施

した同和対策事業のことです。ひと環境を作り 環境また人を作る 吉備町における環境改善というのは

この関係をダイナミックにとらえて、同和対策事業をすすめるなかで人間を変え、その人間の変革と

人間がつくる社会の発展が部落問題を解決する。そう捉えた吉備町では「部落解放」という言葉は

あえて使わず、一貫して「部落問題の解決」という言葉を使っていました。では解放と解決では

どう違うのでしょうか?

同じ人権問題でも、在日朝鮮人問題、障害者問題、女性問題などは、根本的な違いを認めた上で

人権が保障されなければなりません。しかし部落問題は違います。「部落民」が存在しなければ

成り立たない問題です。では、部落民とは何か?それは、部落の劣悪な生活とそこに住む「粗野」

な人々を総称したものです。とするならば、この二つの側面を持った実態、すなわち「差別の実態」

を解消・解決すれば、「部落問題」はなくなります。これがドーン計画の本質です。「部落解放」

ではなく「解決」としたのは、そういった理由からです。その後吉備町は、ドーン計画が完結したと同時に

一切の同和施策を幕引きにします。97年11月18日の「ドーン計画完結二周年記念集会」で

「同和施策最終の幕引きのための特別決議」を開催して同和と名の付く一切の施策に幕を引きました。

ドーン計画を推進する上でのキーワードは「解放」ではなく、「解決」です。そして最後の幕引きは「消去」です。

つまりそれは町内に三館ある隣保館の廃止でした。吉備町の隣保館はドーン計画発足当時には既に

「隣保館」とは呼ばず、通称「文化センター」という呼称で、区の集会や各種事業を行うと

共に、他地区の人々との交流センター的役割を担ってきましたが、「ドーン計画」の

進展とともに、地域の住環境や経済力も全体として高まり、いわゆる「部落の低位性」や

「一般地域との違和感」も全くといって良いほど克服されたのに、隣保館だけが他地区と違う

「文化センター」の呼称をいつまでも続けるのはどうか?という考えから、1990年より町内33区共通の

「公民館」と改称し部落住民だけではなく、全町民も対象としたコミュニティセンター的役割に移行します。

その結果もう吉備町内には「同和の片鱗」もありません。





東上 高志 (1998) 「部落の終わり」がはじまる―「夜明け」を実現した町から」 部落問題研究所
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コメント

移住した者は同和のまま

「部落の終わり」がはじまる―「夜明け」を実現した町から」 を偶然読んだ。
感想は差別するものが都市や関東に移住して、そこでブラック住民・ブラック会社の中心人物になっているだけ。
この町出身者を知っているが、影で差別する・影でいやがらせする…影の有名人。

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