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三重県津市高洲町

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春の陽気が感じられる4月、私は伊勢湾沿いに存在する三重県津市高洲地区を訪れました。

高洲地区は、津市の玄関口津駅の東南東1.8キロの海岸沿いにあり、周囲には主に物流倉庫や

環境処理施設などがあります。海岸沿いに存在するので耳をすませば堤防をこえて潮騒も

聞こえてくる自然に恵まれた地区です。しかし元々この土地は、海岸沿いの草の生い茂る

湿地帯であり、わずかに養魚池が作られているという寂れた土地でした。そんな高洲地区が

同和地区になった経緯として次のようなことがあります。

「城下町津の入り口には、相生町・愛宕町という高洲町から程近い大きな二つの都市部落が

あり、1953(昭和28)年に伊勢湾台風がその二つの都市部落を直撃。

当時の戦災に続く災害は、底辺層にもっとも重くのしかかりました。市はその救済のために

高洲の土地を活用し、急拠被災者用のバラック住宅を建設しました。続いて、1958(昭和33)年

より、津市の戦災復興事業が始まり、相生町・愛宕町の区画整理が行われることになりました。

その結果両町の過密対策として、高洲町に簡易平屋住宅220戸が建設され、両町からの移住者と

既に住んでいた人々が合流して新たに独立した同和地区へとなったのです。」

一方、両町と高洲町の間にも、同じような事情から新たに大井町が作られました。

すなわち、都市の過密した大部落が、戦災と台風災害のなかで、海岸に向かって展開し、2部落

が4部落になったというわけです。いわば、元部落から一番遠い高洲地区に、底辺層を再組織した

ということになります。そんな高洲地区ですが、1973(昭和48)年から、1年に1棟ずつ建てられた

5棟の公営アパート(190戸)と、1983(昭和58)年から5か年計画で実施された改良住宅202戸の

完成によって、バラックは取り除かれ街並みは変わっていきます。今でも問題になってる不法投棄を

除けば高洲は暮らしやすい町になったと言えるでしょう。



東上 高志(1989)「移行期の部落を行く」未来社
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コメント

高洲を訪問されたんですね

時々、こちらのページ訪問させていただいております。
過去からのそれぞれの地域の成り立ち、とても勉強になります。
一つ、質問があります。
大井町とは?
そのような地名は見受けられないように思いますが・・・。

No title

久々にこちらのページ、訪問させていただきました。
ご丁寧なご回答ありがとうございました。
私は、津に住んでおりますが、このような事情は全く存じておりませんでした。
とても、参考になります。
また、お時間のある時で構いませんので、隣保館と教育集会所の違いをご教示いただければと思います。
根拠法令が異なるのでしょうが、たまに隣保館と教育集会所が隣接地にあったりして、類似施設としてとてもムダなように思えたりもしますので。
よろしくお願いします。

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