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高知県旧窪川町興津

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旧窪川町の興津では「砂闘争」・「原発反対闘争」というふたつの運動が行われました。
興津は窪川の海岸部、切り立った山に遮られた海岸部を興津といい、郷分・浦分・小室
の三つの集落から成り立っています。この3つの集落のうち「小室」が部落で主な仕事は
漁業でした。当時110世帯、500人の小室地区はかぎりない貧しさで生活保護世帯が
8割に達しており、そのうえ、長年にわたる貧困な暮らしがもとで、甲状腺肥大、夜盲症、トラコーマ
などの病気が広がり、子供達の大半が欠食児童といわれてました。そんなこともあり主婦たちの
「仕事がほしい」という要求は切実でした。そこに、窪川から中村に開通する国鉄の
建設工事に使う砂採集の仕事が舞い込みました。失業に苦しむ小室の婦人たちはこれに飛びつき、
あゆみをふみしめてトラックまで砂を担ぎ上げる想像以上の肉体労働にも絶えてきました。
ところが年1回もたれる部落青年交歓学習会で、同じ仕事が興津が六立方メートルあたり
650円支払われるのに対して、土佐佐賀では1500円、須崎では1800円であることがわかりました。
これを聞いた婦人たちの怒りは爆発し、単に砂の単価に大きな差がつけられていたことに対する
怒りだけではなく、虐げられてきた者に対して、資本の搾取や収奪がどれほど厳しく、惨い
ものであるかを毎週一回の学習会(高橋庄治『唯物論の哲学』)で学んでいただけに、婦人たちは
腹を括って立ち上がりました。高知県教組窪川支部興津中学校分会は、それを指導し支援して、
42名の砂組合を結成し47日間のストライキを打ち抜いたのです。この闘いを通じて、婦人達の働く
人間としての自覚と、団結への目ざめは素晴らしいものでした。それは、『唯物論の哲学』
の学習や、ストライキを中心にした戦術会議を含めた徹底的な話し合いを抜きにしては考えられないこと
でしょう。この経験は、後の原発を止める闘いに100%いかされることになります。やがて婦人たちの
闘いに励まされて男達も立ち上がり失対就労者50名が、教組をはじめ地域の民主勢力に助けられて組合
結成にのりだし、全日本自由労働組合高知県支部興津分会を結成、町当局と賃上げ交渉に入り、勝利します。
こうしたなかで部落解放同盟を再建し、やがて解放運動分裂のなかで、最終的に全解連
(全国部落解放運動連合高知県連興津支部)となりました。砂闘争で中心となり活躍した「婦人」。
後に起こる「原発反対闘争」でも「婦人」は大いに活躍します。『転換期の部落解放運動』
にて著者の馬原鉄男はつぎのように記しています。「郷分では原発反対運動の高まりのなかで、
原発推進派と目された農協組合長、及び部落総代が辞任、郷分のなかにも新しい
波がふきまくった。農協壮青年部には、百名をこす人たちが結集したが、とりわけ婦人部の活躍
はめざましく、まるでマイクを奪いあうにして窪川全域を走り回った。全解連興津支部と大漁旗
をはためかした漁民会議の宣伝カーが、その前後を伴走した。郷分・浦分、そして小室住民の原発
反対の連帯と統一行動は、台地の村々の人達を勇気づけ、みごと町長解職を勝ち取った」。
既に述べたように小室部落の生活は極端に貧しくその根本的原因は、漁業でしか生きていけない
立地条件にありながら、漁業権を持っている人は、80人の漁師のうち、たった5人だけという、
生産関係にありました。その5人以外の人達は、浦分の網元に雇われて働く漁業労働者です。
それでもなんとか生きていけたのは、山林労働と日稼ぎを兼ねていたからです。すなわち、漁のない
季節には山仕事に雇われ、それもないときは日銭を稼ぐ、これが戦前からの小室も暮らしの基盤でした。
転機は敗戦と共にやってきます。農地改革によって零細ではあるが、自作農が生まれたこと、1948年
(昭和23)年12月に施行された「水産漁業協同組合法」の結果、年間90日以上操業すれば誰でも
組合員の資格を得ることができるようになります。しかしそれは資格ができたことであって、
直ちに生活が向上したことにはなりません。資格が現実で生きて働くためには、条件整備が必要です。
漁業でいえば、漁船と漁具、そして港の改修などがそれにあたり、それには巨額の資金が必要です。
それを解決したのが、同和対策事業特別措置法でした。約十億円かけてそれらを実現した
小室は、はじめて漁業で生きる漁村としての実力をそなえたのです。これらがすべて完成したのが、
原発問題が山場にさしかかっていた1985年でした。つまり先祖代々夢にまでみた漁業で生きる道が開けた
そこに、漁業を根こそぎ駄目にしてしまう、原発問題がふってわいてきたのです。小室部落が断固として
原発反対に立ち上がり、8年に渡る「原発戦争」を闘い抜いたのは、自分と子孫のための、生業を守る
たったひとつの道であったからです。

東上 高志(1989)「移行期の部落を行く」未来社

馬原鉄男(1988)「転換期の部落解放運動」部落問題研究所出版部
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