記事一覧

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

大分県大分市永興 旭町

DSC00088.jpg
大分市街と南大分を結ぶ大道トンネル

DSC00080.jpg
明治時代に牛馬を処理していたほら穴

DSC00070.jpg
旭町を見守る御地蔵様

DSC00061.jpg
旭町児童館

DSC00074.jpg




大分の市街地から、国道沿いを南の方角へ15分ほど歩くと、南大分方面に通じる『大道トンネル』
が見えます。そのトンネルの手前にある狭い階段を登って行くと、県内でも有数の被差別部落
『旭町』に出ます。現在の旭町は整備がなされて部落の面影はなくなっていますが、昔は人一人が
やっと通れる道が迷路にように走り、その両側に約二百戸の民家が軒を寄せ合うように建っており
未だに草ぶき屋根の廃屋が放置され、消防車一台も通れない状態でした。当時住んでいる人の
話では、【貧困と劣悪な住環境でトラホームが流行り、失明する人まで出た。わし自身、正直いうて
この土地が好きになれんかった】大正の終わりまで旭町の主要産業は牛馬解体、皮のなめし、その
後は小作農や竹皮草履の内職などでわずかな収入を得て、生計を立てていました。

≪旭町の歴史≫
旭町は、江戸時代末期、永興山と太平山が連なったふもとを掘り割り、道を作りました。
ここは掘り切り峠と呼ばれ、府内と大分市外の境界となり、旧熊本街道として栄えました。
現在の旭町児童館のすぐ近くには、牢屋があり、当時旭町の人達は、犯罪人を処刑する仕事に
従事しており、その証拠に、町内には、首置き台跡や首切り地蔵があります。

≪旭町の焼き打ち事件≫
公権力による重大な差別事象として有名な別府的ヶ浜事件が起こる前の明治初年、解放令反対
一揆により、旭町は近隣の野津原・賀来の一般農民の集団に、村の中を焼き打ちされました。
【手にたいまつを持った大勢の百姓が大挙して旭町を襲い、民家という民家に火をつけた。当時の
五十戸近くあった部落は一瞬で廃墟と化した】
この焼き打ち事件は『悲しい差別』として、旭町に言い伝えられています。

毎日新聞大分支局 (1982)「熱い叫び 被差別部落からの告発」 葦書房有限会社
スポンサーサイト

コメント

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです

コメントの投稿

非公開コメント

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。