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水国争闘




今回は水国事件(水国争闘)が起こった奈良県川西町周辺を見学してきました。

水国事件とは、1923年3月17日、川西村下永から大福へと運ばれる婚礼道具を
見学していた「森田熊吉」という一般地区大字八尾(磯城郡田原本町八尾)出身の
老人が、「あれは下永のこれだ」と指4本を出して、差別発言を行なったのを
下永の若者数人がたまたま見つけたことが事の発端となっています。

森田を糾弾しようと下永の人々は大字八尾へと向かいますが本人は姿を見せず
結局八尾と会談することになりました。

しかし、八尾側で国粋会に所属する「中西常蔵」の
横暴な言動(森田が仮に指4本出したとしても、おれが謝るから、おれの顔を立てて
許してくれや)に怒り、水平社は中西も糾弾することにしました。

下永村は周辺部落の
水平社に応援を要請、八尾側も大阪府などから国粋会の応援を求め、八尾側と下永側は
一触即発の状態となります。

そして3月18日朝、水平社は光明寺に集結、国粋会は
鏡作神社へ集結しいよいよ衝突の時がやって来ました。

水平社は荊冠旗を先頭に
赤襷を掛けて、竹槍などで武装し八尾へと向かいました。

一方国粋会は鳶口、竹槍、拳銃
など武器を揃え、衝突に備えました。

午前9時40分頃、ついに両者は警察の警戒線を
突破し、鍵の辻付近で衝突しました。

国粋会側は水平社の森島駒次郎、梅津米蔵に日本刀で
斬りつけるなど重軽傷を負わせますが、すぐ警察が止めに入り両者は引き揚げます。

水平者側は国粋会と対峙するにはもっと武器と応援が必要だということで、泉野利喜蔵
駒井喜作など本部の人間や周辺部落からの応援を求め第二の衝突への準備を進めていきました。

翌日の3月19日、水平社側には関西圏全域の部落から応援が駆けつけ、その数は2000人
を超えました。

国粋会側からも全国から応援が駆けつけ、その数は1200人ほどでした。


午後2時40分、水平社の決死隊が猟銃、日本刀、竹槍、棍棒などで武装し、県道を
進みはじめました。

同じ頃、国粋会も鏡作神社の警鐘を鳴らし、武器で武装し、神社を後に
しました。

そして大和川水系寺川の対岸に対峙した両者は、第二の衝突を起こし始めます。


わずか数十分の衝突でしたが両者数名の重軽傷者を出しました。

この事態に奈良県知事は
警察部長を現場に急行させ、大阪府に警官200名ほどの応援、奈良歩兵第38連隊にも出動を
要請し事態の沈静化に尽力しました。

警察部長は夕方、鏡作神社の国粋会を訪れ、引き揚げを
求めました。

国粋会はこれを了承し解散していきました。

水平社も警察部長に任せるということ
でようやく一連の衝突は終わりました。

翌日、警察本部で警察部長が調停に立ち、協議、禍根を
残さないことを誓い両者は和解しました。

事件の発端、「森田熊吉」に謝罪状を水平社に出させ、
一週間後に警察部長がこれを保管するというのが解決条件でした。

この事件は、新聞でも大きく
取り上げられ、水平社の糾弾に対する世間の関心、水平社への取締りの強化、融和促進事業も
いっそう進められていきました。


引用・参考文献 部落史ゆかりの地 解放出版社

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